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2007年1月

2007年1月19日 (金)

年明け、訪米間近

年末はいつも通り帰郷し、今回は地元の友達と飲み、南伊豆の婆ちゃん家に寄り、いつも通り自宅の除夜の鐘を数十回突いて東京に戻ってきた。鐘を突きに来る人も年々減っているのか、今回は120数回で終了。

その後は波乗りでパックリ割れたアゴをいたわりつつ、一日三度餅を食べながら過ごす日々。途中で留学時の戦友というか恩人というか、根は変態な友人の結婚式にも参加。挨拶も好評で結構知り合いの幅が広がったのがうれしかった。しかし奥さんのドレス姿は奇麗だった。それと親戚らしき小さい女の子のドレス姿もまた可愛かった。いや、純粋に。

新婦さんの「結婚てほんといいですよ」という輝いた顔を思いつつ独りXboxの戦争ゲームを勤しんでいたのもつかの間、実は間近に迫った出張のアポ取りがかなり絶望的なことに焦り始める。頼みの綱だった大使館ルートでも難しいようで、気付いたら出発まであと二日。。

もう全米横断のフライトは確定してしまってるし(5日で4都市)。。エネルギー省とかようやく担当者に繋がったと思ったら各種書類提出の必要があるらしく、時間的に厳しいとの回答も。。とりあえず行き当たりばったりで現地で頑張ることに。

ちなみに最終日のDCでは自分の講演も入れてもらった。「今度DCに戻るときは旅行者でも聴衆でもなく、スピーカーとして戻る」という3年前の自分との約束は果たさねば。懐かしい顔にも会えそうだし。但し今回は日本人研究者に日本語での講演で、まだまだ先は遠いぞと気を引き締める。アポ取りの電話での英語も可愛そうな状態だったし。。

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年末は新潟へ

と言ってもスキーでもスノボでも無く、寺泊の油田開発現場へ。

ほとんど知られていないが国内でも石油が取れる場所がある。それも大体日本海側か北海道の辺りに集中している。おそらく海底にも可能性はあるのだが、海流やら領土やらの問題で開発は進んでいない。

さて、現場では思ったよりこぢんまりとした形で設備が集中しており、それでも予想した通りの大きなやぐらがそびえ立っていた。案内してくれた石油会社の方は院の先輩でアメフト出身であり、こちらも大きくそびえ立っていた。まさに現場の兄貴という感じで非常に頼もしかった。

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で、ここら辺に鉱区を設定したのは近辺で石油が取れるために、その油層が繋がっているという期待に基づいているとのこと。実は過去にも掘った事があるらしいのだが、その時は油層まで到達しないで終えてしまったらしい。つまり当時も地質屋さんの判断は正しかったがドリル屋さんが掘り進めなかったのだろうか。

とにかく掘削の設備一貫を見せてもらうと、マッド(mud)エンジニアという一文字違いで狂気の沙汰と思われそうなエンジニアの役割が非常に大きい事が理解できた。時には人工ダイヤモンドを搭載したビットでガリガリと地底を掘る際にも、常に泥水が送り込まれて井戸の壁が壊れないように、そして油やガスが暴墳しないように圧を調整しなければならない。そのために泥水は実は化学薬品だったということも知って驚きだった。も一つ驚きはこんなガテンな現場にも若い女子が数人いたこと。

061226_mud

ただ掘削で数十億かかるわりには生産井に当たる割合も1割ほどと低く、全体でみてなかなかバクチな商売だなと実感。チャンスあれば映画のジャイアンツみたいに実際に出てきた黒い油を浴びてみたいところ。ただ現在は発見と同時にパイプライン等に注入とか言っていたからその感動も無いらしい。せめてフレアと呼ばれる、やぐらのてっぺんにともされる火によっても油田の大きさが実感できるものを感じたいが、現在はCO2削減でそれも叶わない。「それを1回でも経験したらなかなかこの業界は止められないよ」とオイルマンが熱く語っていたのが過去になりつつある。

070119_james_dean_gitants (油まみれのジェームス・ディーン。出所:dvd.monstersandcritics.com)

とにかく、現場が見れたのは財産だし、暗く寒々しいイメージだった日本海が結構爽やかだったのは意外。それと現場近くのひなびた水族館が海水魚から淡水魚はもちろん、ペンギンや両生類までてんこ盛りだったのも想定外だった。

061226_seajapan

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