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2005年8月

2005年8月15日 (月)

終戦記念日前日

終戦記念日前ということで、最近は各局で靖国問題についての番組が多い。

その中でも内容がしっかりしていたのは、やはりNHKだった。土日と連続したスペシャルだったようだが、日曜分だけ少し観る。

前半の内容は大戦後の靖国と国家の関係や合資された遺族の意見などが中心。

靖国は戦前は陸軍、海軍との関係が濃く祭神もそれらから指定されていたという事実や、大戦後の「靖国神社国家護持法案」によって再び国家護持としての動きがあったという点(法案は衆院で可決するも参院で否決、廃案)、また祭神は厚生省が選定し靖国神社に推薦していた点などは勉強になった。

また、遺族の話にもやはり特別な場所である靖国に祭られる事が名誉という意見が多い中、10万人以上の日本兵が餓死したニューギニアの生き残り兵として、「このような戦術を取らせた参謀を恨む。なぜ彼らが靖国で英霊として顕彰されているのか理解できない」と言った多面性を捉えていた。

後半は有識者の議論と言うことで、大学の教授や作家やらが集まって議論を展開。残念ながらこちらは全く期待はずれだった。その原因は多分に司会の責任が強い。質問がその前の映像に関しての断片的なものであったり、やっと参加者で話が盛り上がってきたと思ったらまた違う方向に持っていったり、何の結論も出ないし視聴者は今どんなテーマで議論されているのか理解もできなかったと思う。

その中で感じた点がいくつかあった。

靖国参拝の是非云々に関わる問題としては、「国家の為に殉死した人をどうお参りするか」といった点がまずあるが、議論になるのは東京裁判で戦犯と決められた人の取り扱いだろう。その根本的な所は、①「東京裁判(判決)を受託した事実をどう捉えるか」や②「靖国神社の歴史観」であり、その更に根源に③「日本が過去の大戦をどう捉えるか」という問題があろう。

①については最近よく言われているが、番組の議論でも「受け入れたのは裁判(Judge)ではなく判決(Judgments)だ」という主張から、東京裁判自体の正当性について疑問を唱える人がいた。そこには東京裁判自体がニュンベルク裁判同様の勝者による勝者のための裁判で、アメリカ軍による原爆や空爆攻撃の違法性が全く指摘されていないという事実も確かにある。②の靖国の歴史観も、この裁判の不当性に成り立っている。

しかし一方で、当時の日本が再出発のためにそれらを承知でサンフランシスコ平和条約を受け入れなければならず、受け入れたからこそ国際社会に復帰できたという事実もある。この国際的約束をJudgeJudgmentsかという議論を持って「不当だった」と、今さら国外にも納得させられる主張ができるだろうか。もちろん、同じような論理を持ち出す中国、韓国は実は当時この条約に署名していなかったという事もあり、彼らだけを気にする必要は全くないのだが、日本の国際姿勢としても自ら矛盾を招き信用を失いかねない。

このような国内外への主張の不一致は、姜尚中教授が表していたように、「反戦を唱える広島」は国際社会向けで「自存自衛の戦争感に基づく靖国」は国内向け、といったダブルスタンダードで外からも分かりにくいだけでなく、国内の私たちも実は歴史観がまとまっていないことを表している。

この時点で、靖国参拝の是非に関しては日本としては「勝てないゲーム」なのではと思う。裁判はおかしいと唱える作家の上坂冬子も「論理的に言われると何も言えない」と認めているように、客観的な論理としては「総理の参拝は控える」と発表した後藤田官房長官(当時)の談話の方が説得力がある。

これなら、少し前に主流だった論調のように「日本は裁判も罪も戦犯も認める。ただ日本の伝統的考え方では、亡くなった人はみんな神様なんだ。だから区別することはできない」といった主張の方がまだ通用するのではないだろうか。ただ、自分もアメリカで議論した際には、「じゃあ、ドイツの首相がヒトラーの墓にお参りに行ってもいいのか」と言われ、死生観とか感情面での理解は難しいなと感じた。

但し、ここまではあくまで政治的な判断に関する問題であり、「歴史的事実はどうだったか」という点はまた別に捉えるべきだろう。後者についてはもちろん、「東京裁判の正当性」にも大いに検証する必要があるし、それが余りにも不当であったという事が明らかになるのであれば主張すべきであろう。そしてその事実を外交にも関わる政治的判断に影響させるのであれば、「戦勝国によって被せられた罪」に反対するだけでなく「他国に与えた罪」や「戦争に負けたという、国民に対する罪」についても改めて問いただす必要がある。

(ちなみにこの問題に関しては、小泉さんの主張も統一されていないように思える。郵政は「死んでも実行する」と言っておいて8/15の靖国参拝は一回もしてない。参拝の際には「平和への誓い」というのを前面に出しておいて、広島の平和記念式典出席後は被害者の話を聞かないで美術館に行っている。しかもこの美術館も戦争に関するものかと思っていたら、中国の現代絵画や陶磁器を収めた単なる美術館だった。)

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2005年8月 3日 (水)

New York Times(オオニシ氏)が煽る「日本のナショナリズム」

国内ではあまり報道されていない「戦後60年決議」も、国外では身内が少し異なる捉え方をして、いわゆる「ナショナリズムの高まり」の象徴とされているのを知っているだろうか。

8月2日の衆院での決議では、「あえて国会で決議することか否か」という点が賛否の分かれ道だった。決議自体の意義は「更なる国際平和への貢献」である。

それが、アメリカの一流紙New York Timesでは「決議は日本の軍事政治(の罪を)軽視するもの」とし、「中国や他の近隣諸国から日本の国粋主義の高まりの象徴と捉えられるだろう」と述べている。中立な分析のような振りをして、問題を大げさにしているあたりが、日本の某新聞に似ている。しかし問題は、New York Timesのような圧倒的に国際的に影響力の高い新聞に書かれている点であり、このような記事の材料を与えるだけなら、かえって決議をしない方が良かったとさえ思ってしまう。

nytimes0803 

また気にかかるのが、オオニシノリミツという、日本人だか日系だかの東京をベースとした記者が書いている点であり、彼の他の記事も読む限りややステレオタイプな主観があるように思える。例えば「日本の右翼」として国内の極端な行動を描写しながら、やがてはそれが世論とも方向を一致しているような持っていき方をしている。

恐いのは、これを読むほとんどの読者(おそらくNY Timesの編集も)は全く日本の事を知らない人たちであり、その中にはオオニシ氏が煽る「中国やアジアの近隣諸国」の人たちだけでなく、欧米の政策担当者たちも含まれていることである。

外交はもはや外交官だけの仕事ではなく、情報戦略を含めた国の総合力が求められている、と痛感した出来事だった。

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