2008年7月 1日 (火)

地上へ

ようやく出れる事になりました.

先ほど博士課程の本審査が終了し,あとは論文を(かなり)修正して提出するのみです.

海外出張行っても,選挙活動手伝っても,海行っても,飲み会行ってても(って研究してないみたいですが),どこかしら頭に引っかかっていた靄がようやく晴れそうです.

工学系というこれまでと異なる分野で,最初はその観点もよく理解できずにもがいていました.
それでも幸運にも自分のこれまでの取り組みを評価してくれる人達に支えられ,結果としてpricelessな複眼思考が身についたと思います.

ただ忘れてはならないのは,これは目的では無く手段の一つである事.
ここから更に,より広く発信を続けていかなければならないと思ってます.でなければ,この3年の意味が全く無くなってしまうので.

また,これまでお世話になった多くの人への感謝を忘れない事.
正直,振り返れば担当教官との出会いをはじめ,通常得がたい非常に貴重なネットワークを広げながら,過ごすことができたと思います.

最後に,これまで他人に迷惑をかけたり,自分も少なからずの犠牲を払っての結果だという事.
自分のキャパシティが小さいためか,おそらく時間的には余裕があったにも関わらず,本来うまく並行してできたかもしれない事ができませんでした.限られた人生の時間の中でその損失は大きかったなと反省しています.

まずは次に向けて,今回も頼りになった体力をつけ直して備えます.

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2008年3月31日 (月)

ボストン会議(環境>エネルギー)

ボストンから帰ってきて実は2ヶ月も経ってしまうので,少し総括をしてみる.

今回の会議は毎年行われている工学系の大学アライアンスの年次総会で,MITで行われた.内容はいつも環境系が主流なのでそれ程期待はしていなかったが,意外にも初日のパネルではIPCCのパチャウリ議長や,IPCC各チームの代表からの意見が聞けたのは貴重だった.

中でも面白かったのは小宮山総長のプレゼンで,「大学と合わせて,自宅の改築に伴う温暖化ガスの削減効果」は具体的かつユーモアがあった.質疑応答でも,「環境問題対策について,大学でも専門家が縦割りで分かれて理解し合えないでいる状態をどうすべきか?」という問いに対し,他のパネリストが流暢な英語でもっともらしい事を話している一方で,「ちょっと言わせてくれ」みたいな形で最後に,「教授間で理解し合うのは無理だが,生徒ならできる.色んな授業を取ればいいでしょ.」と会場を沸かせていた.さすが.

080128mit
(半分凍ったチャールズ川の向こうに見えるのがMIT)

会議自体は例年のごとく,環境分野の重要性普及がテーマだったため,ポスターの説明後は早々に退散した.ただ意外にも何人かは自分たちの化石燃料研究について関心を持ってくれていたのは収穫だった.

で,ボストンに来たという事で,HBSとフレッチャーの知り合いに会ってきた.HBSの方は元同期で,とうの昔にサラリーマンを引退して放浪している自分とは正反対に,いつもスマートに出世街道を進んでいる.会社時代も,いつもデートでも自転車の自分に対し,BMWで爽やかに決めていた.そういえば飲み会でも,ケチって歩いて帰る自分に呆れた女子をさっとタクシーで送っていた.でもお互い体育系で仲は良く,思えば自分が渡米する際にも,金も無いし現地で住む所も決まってない事に驚き,餞別をポンともらった.いつかお返ししなきゃ,と思うんだが差はひらく一方である..

とにかく,HBSについては授業も聴講することが出来て非常×2に刺激を得ることができた.Business schoolの授業はなんとなくイメージはあったつもりだったが,実際に見てみると議論のテンポや時間構成の上手さに感心してしまった.

今回出席した授業は「アップルストアによるマーケティング手法について」で,その意義や自分ならどの程度展開するといった議論が最初からいきなりテンポ良く始まった.その中では生徒と教授のやり取りのみならず,生徒同士でも主張し合った議論が展開された.皆からは「何か発言しないと」といった緊張感が伝わり,座講のように居眠りする生徒は皆無だった.それが40分ほど続き,最後に実際にアップルのマーケティング担当の役員でもある卒業生がゲストとして,具体的な話と生徒たちの質問に答えていた.

0129hbs
(HBS専用のラウンジ.行き交う生徒は皆自信がみなぎっている.)

こういったケーススタディが毎日行われていれば,わざわざ時間と金を使って留学する意義は確かにあると思う.また,各人がそれぞれ自分の名前のフリップを立てて国際会議のような議論を展開していた中で自分が痛感したのは,やはり英語力の重要性だった.それもこれまで必要性を感じていたようなレベルでなく,ネィティブ並みの聞き取り及び説明能力である.HBS特有なのか,外国人らしき生徒たちも全く訛りも無い流暢な英語を駆使していた.むしろインド系だった教授の方が発音にアクセントが残っていた.

あとフレッチャーの友達とは,肉を食いながら近況を話し合った.こちらも日本にいた時よりよっぽど楽しそうな表情をしていたのが印象的だった.日本では渡米前の繋ぎで経済的にも時間的にも大変そうだったし.と思ったら日本でもまだバイトをやっていたらしく,その2週間後に予定されていた放送大学の講義が急遽フライトの都合で帰国が遅れ,助っ人として自分が代わりにやってきた.持ち時間は確か6時間近くでどうなるかと思ったが,生徒は年配の方が多く非常にアットホームで楽しかった.

3年連続で出席したこの会議.さすがに来年はもう学生でない(と願う)ので行かないと思うが,貴重な体験となった.

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2008年1月27日 (日)

ボストンへ

今年も始まってもう一ヶ月ということで、今一度勢いをつけるために今月のまとめをしてみる。

一月はゼミや論文書き、大学の講義、他学部での発表や授業手伝いといったルーティンの他に、「米新政権の政策調査」にも携わらせてもらっている。

080127cnn (現時点での支持状況。出所はCNN

とりあえずこれまで専門家と呼ばれる人達にヒアリングしたところでは、趨勢としては民主党優勢で、その場合「米中シフトは避けられず、日本にとっての姿勢も厳しくなるだろう」と見られている。前者は米国の方針がどうというより中国がプレゼンスを拡大するのは事実であり、日本はそれを踏まえて考える必要がある。

また後者は「これまで共和党の知日派と呼ばれるような人達との人脈を民主党との間で作ってこれなかったことにも原因がある」、という意見が多かった。このような「定常のネットワーク構築は重要ですよ」、と皆言うのだが大体同席している役所の人は「予算が・・」といった消極的な姿勢で重要性が余り理解されていないように思える。例えば、去年の今頃も政府系機関の委託調査でアメリカにヒアリングに行ったのだが、現地事務所を通して米関係者を紹介してもらえるなどの例は皆無だった。全く何のためにいるのか。

とにかくこれは日本政府の今後の方針をどうするか、という事にも繋がっており一段落着いたら自分でもまとめてみたい。

ちなみに明日からはエネルギー・環境に関する恒例の国際会議で厳寒のボストンMITへ。現地では昔の知り合いも何人かいるので、Samuel Adamsでも飲みながら大いに刺激を受けてこようと思う。

最後にプライベートでは、祖母の92才の誕生日を盛大にお祝いしたのが唯一か。祖母が伊豆に来たときには今のお寺もひどい状態で、相当な苦労があった事はいつも聞いていた。その思いもあり、途中で何度も行われた祖母からの挨拶では涙もあったが、とにかく周りの人達も底抜けに明るくて賑やかな会になった。うちはなぜかこういう時に大量の餅撒きをする習慣があり、老若男女が争って餅に群がる様を見て、給仕さんもびっくりだった。

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2007年の原油市場と今後の見通し

以前ライオンズで各分野についての「昨年の総括と今年の見通し」をまとめようという企画があり、良い機会なので取り組んでみた。結局皆忙しいのか揃いそうもないので、以下鮮度が落ちないうちに正月にまとめたものを掲載してみる。最近ブログでちゃんとした分析もしてなかったので調度良かったし。

-----2007年の原油市場と今後の見通し--------------

 当該分野において2007年最大の出来事といえば,原油価格の歴史的上昇である.そこには近年大きな要因として挙げられる投機筋の動きや地政学的リスクも含まれるが,本稿においては実際に資源を生産および消費するアクターの動向に注目して考察を行った.

080127crudeprice(2007年の原油価格の動き - 出所: WTRG Economics)

 まず2007年末の世界における原油の確認埋蔵量は,昨年比1.1%1.3兆バレルとなり,引き続きそのポテンシャルを維持する結果となった.地域別には西ヨーロッパが510%程確認埋蔵量を減らしたものの,北米や中南米等における埋蔵量の増加がそれを補っている.尚OPECは新たにアンゴラが参加したことによりその確認埋蔵量の世界シェアを僅かに拡大し,原油ではほぼ7割,天然ガスでも5割超を占めている.

 一方,原油の世界生産については2006年に引き続いて減少が見られる.全体における減少は2006年比で0.4%であり,西ヨーロッパが特に顕著で610%の減少,中東では全体で2.6%減となっており,ロシアおよびアフリカが増産となったものの全体を押し上げるには至らなかった.但しこれはOPEC2006年末に決定した減産合意が影響しており,生産能力がピークに達したとの見方は時期尚早である.

 このように原油市場においては需給のファンダメンタルズはそれほど大きな変化が見られなかったものの,2007年の生産側,消費側双方の政策の動向は大きかった.それはメディアにも度々特集され,一般にも定着した「資源ナショナリズム」を巡る攻防である.幕を開けたのはロシアからベラルーシへの原油輸送に関する係争であり,ここで資源の売り手の優位性が明らかになったかと思うと,次にサハリン2事業の国有化に見られるように地中に眠る資源そのものへのアクセスも制限し始めたのである.このように資源を戦略的に用いる動きがボリビア,ベネズエラ,ブラジル,カザフスタンといった広範囲に急速に広がり始めていった.TIME誌が,2007年の世界に最も大きなインパクトを与えた人物としてロシアのプーチン大統領を選んだのも,エネルギーを巡る国際政治のパラダイム変化を重要視したためであろう.

 結果として,消費国は限定された地域への資源獲得を巡って激しい争奪戦を展開することとなった.特に中国,インドといった国内に旺盛な需要を抱える国々にとっては資源獲得は死活的に重要であり,国営企業が豊富な資金力と国家の後ろ盾によってなりふり構わぬ戦略を進めている.このため,日本のように国内に資源を持たざる消費国には,自主開発可能地域は大水深域や重質油田といったアクセスは可能だが技術的・経済的に困難な地域に限定されるようになっている.更に2007年には高油価を反映し,これまで政府取り分やロイヤリティーが優遇されていたカナダのオイルサンド,アメリカの大水深地域で是正検討の動きが生まれている.他方,消費国側では不必要で過度な競争を避けるために協調の動きも見せ始めており,中印韓の国営石油企業間では探鉱開発や人材育成に関する協力合意が結ばれている.また日本においてもインドとは石油ガス協力に関する合意が結ばれ,中国とは新日石とCNPC社の間で資源開発や新エネ分野での長期協力に関する合意が結ばれた.またアメリカを始めとして世界的に原油在庫が減少しており,IEAが呼びかけているように省エネに関する協力も今後具体的に進むと思われる.

 さて,明けて間もない2008年だが,原油価格はいきなり1バレル100ドルを突破して始まった.これはサブプライムローン問題の影響で証券市場からのカネが流れ込んだこと,OPECの増産見送り米国の在庫減少が主な原因と見られている.これまでの原油の1バレル当たり平均価格(WTIスポット)は2003年に31.1ドル,2004年に41.5ドル,2005年に56.6ドル,2006年に66.0ドル,そして2007年は72.3ドルとなっている.この法則が続けば2008年の平均油価は80ドル台で推移することになり,実際にドイツ銀行などはそのような予測を打ち出している.更に,突発的に市場を逼迫させる要因として,近年猛威を振るったハリケーンや産油国を含んだ地政学的リスクの高まりにより,油価は容易に1バレル100ドルを再度超えると見られている.但し,非OPECの生産増と,アメリカの自動車燃費効率向上によりガソリン消費がピークを迎えることから,油価は今後減少していくとの見方もある.

 また,短期的に原油市場に影響を与えるものとしてはバイオ燃料が想定されるが,果たしてその影響力はどうだろうか.20079月のOECD会議で提示されたRichard DoornboschRonald Steenblikの二人の研究者による論文では,楽観的シナリオにおいてもバイオ燃料による液体燃料代替は2050年で13%程度にしかならないと見ている.これはIEA予測に沿ったものであるが,既に表面化している食品価格の上昇などより幅広い経済へのマイナス側面も懸念されている.またセルロース系バイオ燃料については経済性の問題から期待は更に低い.加えて論文ではサトウキビを除くバイオ燃料製造や助成金をも含めた経済性および環境面への効果について疑義を唱えている.同時期に発表されたAccenture社が20カ国を調査して作成したレポートでも,バイオ燃料の今後の普及拡大には相当程度の技術開発の進展が必要としており,その負担先として石油産業が適当としている.いずれにしても2008年における原油市場に与えるインパクトは低く,むしろこれまで迷う事無く進められてきた各国の振興策がどう見直されるかが注目である.

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2008年1月 7日 (月)

自己実現の年へ

いよいよ2008年.

今年は自分にとって何回目かの節目の年となる.

既に今の段階でも,これまでやってきた事の労力が倍になることは確か.大学での講義も一コマ増える事になり,一方で院での研究も一気にまとめに入らなければならない.

また次の段階のイメージも具体化してきているので,それに向かって走り出す時期でもある.幾つかプロジェクトがあり,それぞれに綿密な戦略を立てなければ.テーマはThink globally, Act locallyである.

とにかく昨年よりも充実した年になる事は明らかであり,非常に楽しみ.ただ元々スプリンター体質なので,勢いを何とか持続させる努力も忘れないようにしなければ.こちらはいつものStay Hungry, Stay foolishで乗り切りたい.

あとはその合間をぬって,空手と波乗りもレベルアップさせたいのだがどうなる事やら.実はこっちの体力系の方が得意で投資した時間と労力の分すぐに結果が出るのだけど,今年はその投資余力が更に減る予感..

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2007年9月30日 (日)

後期開始

夏も終わり急に気温が下がったとともに,また喉を痛めてしまい,得意のカルピスで宥めながら久々アップしている.

先週から大学での講義も再開し,これまですっかり夜型の生活だったので朝が非常にきつい.まあ後期初回ということもあるんで何とかしのげたが,今週からガラッとシフトしないと.

講義のほうは,,,一眼はいいとしても二眼はやはり人数が多い.

なんせ必修かつ通常二クラスでやる授業を無理やり一つにまとめているんで,前期の初回なんか空いている教室が無く,仕方なく講堂で授業することになってしまったくらい.先週の授業もまた人が溢れているし.来年は是非二つに分けて欲しいところ.もち給料も二倍で.

20070807_1121_2

その後,久々海に浮かんでなかなか来ない波を待ちながら,「そういえば前回ブログに前期の事をまとめて書くと勇んどきながら空手ネタで終わっちゃったな」と思い出した.ということで,自分の備忘録としても前期を振り返ってみると以下の項目が思い出される.

(写真は伊豆最南端の石廊崎)

「格差」についての勉強会

Ø         政学でのこじんまりした勉強会の手伝いをさせてもらった.

Ø         国内の特定の政権による改革をスケープゴートにしていると国益にはならないな,と実感

英文雑誌の投稿者懇談会

Ø         久々フルコースのフレンチを頂いた.今思い出しても生唾が..

Ø         会話でも「民主主義は普遍的か」「民主主義と自由主義は違う」といった高尚な話題も

資源関連研究

Ø         原油の生産予測,日本の海外石油開発の取り組み,についてはようやく一区切り

Ø         量的にはまだまだなので,これから死ぬ気でやらんと

GPIフォーラム

Ø         ワシントン時代からの友人による企画に実行委員として参加.パネル進行をさせて頂く.

Ø         志の高い方々と素晴らしいネットワーク構築へ.アウトプットの質と手法については今後の課題.

空手道場入門

Ø         前から気になっていた近所のフルコン空手道場へ通う.

Ø         現在は色帯に昇級し毎週組手に参加.その度にどこかしら負傷.

波乗り

Ø         前期中は何とか毎週通うものの,海開き以降こちらはパッタリお休み.

Ø         ネットで生中継される世界大会に熱中し,イメトレ代わりに.

他にも実は大事な事や反省点などがあったような気がするが,,,楽観主義&忘れやすいんで努力して記憶&記録していきたいと思う.

ちなみに後期は,公共政策系の大学院で講義の補助も始めている.科目は「国際行政」.

担当教授と打ち合わせしてレジュメ等見せて頂くと,自分が行っている講義よりはるかに論理的で内容が濃いなと感じてしまった.こんな中で自分も教授の出張中の授業を担当しなきゃいかんと思うと,ややプレッシャーも.

最後に,昔の知り合いからいくつか連絡をもらって,ビックリしつつもかなり嬉しい.でもそれが結構しょうもないエントリーへの返信だったりして少し恥ずかしい一面も.という面ではこのブログこそアウトプットの点で多いに課題ありだな,と.

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2007年8月11日 (土)

フルコン空手

前期もうかうかしていたら,あっという間に終わってしまった.

ブログも書かなきゃ,と時々思うものの日が経てば経つ程おっくうになってくるため,ここらでさくっと書いていこうと思う.

まず,今期は空手を再開した.再開といってもアメリカで数ヶ月寸止め空手をかじった程度なので,今回は再出発という感じ.たまたま近くに有名な道場があり,たまたま入会キャンペーンをやってたのでふらっと入ってしまった.月に何回通っても定額なので行けば行くほどお得な仕組みである.

ちなみに今回はフルコンタクトであり,顔面パンチや急所攻撃以外は基本的に何でもありといった,かなり実践的な流派となっている.実際入ってすぐの初心者でも,ミット打ちはもちろん,上級者との組手までいきなり参加できるのが驚きである.もちろん相手は手加減してくれるものの,少しでもこちらの攻撃が決まればその倍は返そうかという勢いで襲ってくる.特に最初はこちらも加減が分からないため女性相手に蹴りを入れたところ,しつような股間攻めにあってしまった..

で,数ヶ月経っての感想は,やはり闘いというのは「彼を知り,己を知れば百戦危うからず」だな,という事.まず組手で重要なのは,相手およびそれに対する自分の行動が,経験や知識によって累積されたパターンからどのくらい浮かび上がるかであり,その選択肢の幅が広いほど対応の幅も広がる.

今のところ自分のレベルの組手では,①相手をまず体型で類別し,②自分が実用できる技の中から何が有効か選択し,③その実行によって選択肢を修正していく,といったプロセスで動いている.最初のうちは,顔面無しとは言え本当に当てる殴り合いはやはり興奮し,ありったけの技をやみくもに出していくだけだった.ただそこで行き詰ったのは,自分より大きく間合いの長い相手がしっかり構えて待ちに体勢に入った時に,実はそのような相手に自分から仕掛けて有効となる技を持ち合わせていないと気付いた時だった.つまり上の①②のデータや選択肢が全く足りずに,どうしていいか分からないという状況である.

という事で,しばらくは組手を重ねて①のデータ蓄積と,練習による②の技の増加そして③のように体が動くよう訓練,を繰り返そうと思う.

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2007年4月21日 (土)

NHKスペシャル(中国格差)

最近NHKで、春節(旧正月)前後の中国の人々の動きを追ったドキュメンタリーが何回か放送されていた。

その中で主題として映し出されていたのは国民の間の超格差だった。都市に来ても日雇い仕事さえ見つからない農民工と一日一億ほど稼ぐ不動産投資家達、そのコントラストは痛烈だった。

それら億万長者が口にする言葉が鄧小平の「富める者から富んでいけばよい」とする先富論だった。確かに成功者が増えるのは社会にも経済にも活気が生まれるし、人々の努力のインセンティブにもなるという点で非常に重要である。

一方で現在の中国で果たして成されているのかと疑問に思うのが、冨の再分配と機会の平等である。冨の再分配については政府が税制等によって促す方法もあると思うし、また富める者の間でのNobless oblige(財産、権力、社会的地位には責任が伴う事)が広がることも必要だと思う。

中国では両方ともまだまだ不十分だと思うが、一方で日本においても特に後者の精神は浸透しているだろうか。自分の生活すらままならない今の自分が言うのも何だが、本来ならば自分たち富める国の国民は国内はもとより国外においても果たすべき責任を負っているはずである。そしてその意識が社会を大きく変えていくものと確信している。

また機会の平等については、中国では教育機会、就職機会、広くは医療を受ける機会といった面で貧しい人々が困窮している。特に医療の場合は深刻で、テレビでも家族に経済的負担をかけたくないばかりに自分の病を隠す老人の姿や、機械に腕を巻き込まれても治療が施されずに腕が曲がってしまった少年が映し出されていた。近年では日本でも問題になっている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が果たして中国で保障されているのか、その限度とは、といった点が自分たちの常識では計り知れないレベルにある。

一方、格差を映し出すこのドキュメンタリーで自分が他に印象を受けたのは家族の結び付きだった。

農民工の家族は子供に同じ苦労をかけたくないと、総出で出稼ぎして教育費を稼ぎ、正月の時期にしか子供には会えない。残された幼い子供たちはそんな親の気持ちを理解し、必死に勉強する。

「将来の目標は?」と聞かれると、多くの子供たちは「両親をこれ以上苦労させたくない」と語り、泣き伏せてしまった。

そんな子供たちの優秀な成績を聞き、「頑張りがいがあるよ。」と熱を出した体でまた肉体労働に向かう親たち。

また、帰省ラッシュで混雑するバスターミナルで1年分の給料を強盗に盗まれた男性。途方にくれる彼に、会社が「家族に会って来い」と帰省費用を出してくれた。

彼が残した言葉がまた印象的だった。

「上には親がいて下には子がいる。困難でも頑張る理由はそこにある。」

養老愛幼。

生きる理由。稼ぐ理由。その中心にある尊いものを見た。

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バルセロナからは、戻って早数週間も経ってしまった。

委託調査の報告書を仕上げたり、論文のアウトライン作ったり、授業の準備なんかしてたらあっという間だった。

ということで総括をしようかと思う。

070317_barcelona_univ_2 (ホテル近くのバルセロナ大学。会場の大学は郊外で更に広大だった。)

が、実は大して内容が無かったりしてしまう。

とにかく昨年のバンコク開催に比べると質素なものだった。

レセプションに行ってみれば大学の教室の廊下のようなところでやってるし、資料もほとんど無く、高い参加費はどこにいったのかと疑問に思ってしまう。

もちろんそれでも内容が濃ければいいのだけど、発表やポスターに良く見られたのが単に「サスティナビリティは大事ですよ。だから皆で交流を深めて意識を高めてますよ。」という感じで、特に研究をやってるふうでも無かったりしたのが驚いた。

その中でもMITの研究者はさすがで、太陽光やバイオ等技術的にもかなり具体的な研究がなされているようだった。またDOE(米エネルギー省)の職員も発表して、彼女は環境・エネルギー系予算配分の際の政策評価のような内容である程度客観的なモノサシを提示しているのが興味深かった。ただ実際はどうなのか聞いてみたところ「ほとんど政治よ」といった回答が返ってきた。。

ポスターセッションも同じ場所で行われたのだが、さらに悪いことには廊下に貼ってあった自分達のポスターが教室のドアに隠れてしまい存在すら薄くなってしまった。

070318_barcelona_poster_2(奥の白いのがうちのポスター。途中から扉と隣のでかい姉さんによってほとんど隠れた。。)

といった感じで会議は終了し、ちょっとバルセロナの港に出てスペイン料理を食べてみた。一日目はビュッフェに入ったところベジタリアン料理しか無く力が抜け、帰国前日にはリベンジをかけてイベリコ豚やらサングリアまでは調子良かったものの、肝心のパエリアが何故かベトベトでしょっぱ過ぎた。隣のテーブルのはサラサラで旨そうだったのに。。

070318_barcelonapaeria_2 (パエリア三種類。味と見た目は見事に反比例だった。)

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2007年3月17日 (土)

CERA会議 + 太陽の国へ

前回のヒューストン出張から帰国してしばらく経ち、今はまた空港へ向かうところ。

今回の目的地はバルセルナで、もう少しアカデミックな会議に出席する予定になっている。

世界の工科大学でサスティナビリティについての連携があり、毎年この時期に年次会議が開かれている。去年はバンコクで怪しい宴会があったかと思えば、早一年も経ってしまった。

ということで、ここ数週間を振り返ると、ヒューストンでは石油ガス関連の超大規模なセミナーに出席したり、国内では毎月恒例の上流開発技術の研究会があったり、報告書の作成を進めたりといったところで、週末には海も二回ほど行けた。花粉症も思ったほどひどくなかったが、ヨーロッパでも猛威をふるっているそうで、更に帰国する際には日本ももう少し暖かくなって花粉のピークを迎えていそうなのが恐い。

0702cera (参加費が50万円でも大盛況の会議。2000人はいたらしいのでこれだけで一体いくらの金が動いたのか・・)

さて、ヒューストンの会議は、主にメジャーをはじめとする石油ガス上流企業の技術動向の話を聞きに行ったものの、実は具体的議論は全くなく、それより業界として将来どうなるかのような非常に大きな話に終始した。その中で印象的だったのが、エクソン会長や米エネルギー大臣なんかが温暖化や環境に対して非常に関心を示していた(ふりをしていた)ことである。日本でも新聞で取り上げられていたように、まず彼らがCO2と温暖化の関係について認めるようになってきただけでも大きな変化である。

他には業界としてとにかく人が足りず、とにかく効率化や統合化が急務だということが確認できたのも収穫だった。そしてその取組みの一例として、ハリバートンではデシジョンセンターという意思決定が効果的に行われるような施設も視察してきた。それでも人材面については、みんな口をそろえて「中国を例外として」と前置きするように、中国の勢いは今後も衰えることは無さそうである。

0702halliburton(泣く子も黙るチェイニー副大統領出身のハリバートン。技術も政治力も 世界トップクラスである。)

これらも含めて今回主催のCERA(ケンブリッジエネルギー研究所)では将来シナリオをいくつか構築しており、今後の需給がどう変化するか予測している。ただその中には埋蔵量がどのくらいとかいう点はそれ程注目されておらず、主に国や人々の志向がどう変わるかという点が大きい。注意は喚起しているものの全体としてやや楽観的な印象を受けた。確かに、石油ピークについて研究している自分達でさえ、「結局エネルギー問題は何とかなるかな」とか一瞬思ってしまう点もあったりする。そこを数字や今後のシミュレーションを見てもう少し冷静に見ようとしているが、そもそも埋蔵量自体が不明でそこをどう見るかで意見が大きく変わってくる。

業界としては希望的観測も含めて今後の生産キャパシティに楽観的といった雰囲気が感じ取れたような。今回の出張はもう少し環境志向の強いヨーロッパということで、雰囲気の違いだけでも感じてこれたらと思う。

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2007年2月11日 (日)

帰国 & Uターン

2週間目に出張から戻り、実はまた今から渡米。

と言うことで前回を振り返ってみることに。

前回は5日間でサンフランシスコ、デンバー、ヒューストン、ワシントンDCとまさにアメリカ横断だった。

070122_1 (USGSの入口。受付も無く非常にオープン。)

サンフランシスコでは、USGS(米国地質調査所)を尋ね、主に北極近辺における石油・天然ガスのポテンシャルおよび彼らの評価方法についてヒアリング。極地ということもありまだまだ未開発地域が多く、必然的に似たような地域からの推察(アナロジー)および確率論的に埋蔵量を推定していた。尚、技術については既存をベースとし経済性も考慮するために一定の価格も設定しているとのこと。

070122_stanford_1 (スタンフォードをフーバータワーから)

ミーティングの後はすぐ近くのスタンフォード大を見学。

そのキャンパスの広大さと開放感、またいつ来ても感じる西海岸の天気の良さから、リベラルでクリエイティブな人材育成には最適だなと実感。昔スタンフォードから来ていた知り合いが、たまたま自分の大学院の防衛関係のセミナーに寄ったところ、その会場の雰囲気と現時的な論調にややショックを受けていた。

070123_denver_usgs_1 (デンバーのUSGS Central。最近珍しいドカ雪が降ったとのこと。)

その後向かったデンバーは雪一色。

何しろ標高約1700mで、空気も澄んで星も非常にきれいだった。

ここではコロラド鉱業大学で同行した先生の知人を尋ねた後、USGS(米国地質調査所)の評価チームと会談。彼らは極地だけでなくその他全地域の評価に携わっており、もう少し大きな話を聞くことができた。また非常に友好的で、今月行われる会議にも呼んでもらった。

070124_houston_1 (ステーキというか肉の塊。実は付け合わせのポテトの方がずっと手強かった。。)

次は雨のヒューストン。

結局最後までねばったもののアメリカのメジャーへのヒアリングは実現せず、18oz(510g)のステーキを食べて早々にDCへ。

3年ぶりのDCということもあり、まずダラス空港からあると思ったはずの電車が無かったという思い違いから始まった。ただ宿泊したGeorgetownの街を歩きながら何とか土地勘を取り戻し、久々のSamuel Adamsで一杯。やっぱりこのビールが一番うまい。

ここでもエネルギー省との面談がセキュリティや、先方の予定(ちょうど一般教書演説が行われていた)から実現せず、友人の中嶋君にお願いしてCSISのエネルギー部長に話を聞く。やはり石油にまつわる本質の課題をしっかり認識されており、それについて意見の分かれる両方からのディベートを開催した話など非常に興味深かった。

その夜は昔自分も良くお世話になった研究会でプレゼン。

エネルギーという切り口でも皆の関心が非常に広く、また役所の担当の方なんかもいたりして議論の内容も濃くなり、同行の先生のコメントに助けられながら何とか終了。時間に余裕があればもう少しアメリカ側の観点での意見も聞いてみたかった。

その後は恒例の懇親会で、以前働いていた会社の大先輩からも有り難い意見を色々もらう。忘れていたビジネスというか商社マインドを思い出させてくれた。また「君は研究者に向いてないね。」という有り難いアドバイスも。。

で、最後は知り合いが集まってくれている昔の学生寮で飲み、次の日の早朝にもう一人お世話になった人を訪ねて何とか帰国。

それからは帰国当日の飲み、兄の結婚式、海という感じで過ごしたらあっという間にまた離陸5分前。今回はヒューストンでリベンジの予定。また時差が襲ってきそうだけど、花粉症がひどくなってきた季節にはありがたい。

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2007年1月19日 (金)

年明け、訪米間近

年末はいつも通り帰郷し、今回は地元の友達と飲み、南伊豆の婆ちゃん家に寄り、いつも通り自宅の除夜の鐘を数十回突いて東京に戻ってきた。鐘を突きに来る人も年々減っているのか、今回は120数回で終了。

その後は波乗りでパックリ割れたアゴをいたわりつつ、一日三度餅を食べながら過ごす日々。途中で留学時の戦友というか恩人というか、根は変態な友人の結婚式にも参加。挨拶も好評で結構知り合いの幅が広がったのがうれしかった。しかし奥さんのドレス姿は奇麗だった。それと親戚らしき小さい女の子のドレス姿もまた可愛かった。いや、純粋に。

新婦さんの「結婚てほんといいですよ」という輝いた顔を思いつつ独りXboxの戦争ゲームを勤しんでいたのもつかの間、実は間近に迫った出張のアポ取りがかなり絶望的なことに焦り始める。頼みの綱だった大使館ルートでも難しいようで、気付いたら出発まであと二日。。

もう全米横断のフライトは確定してしまってるし(5日で4都市)。。エネルギー省とかようやく担当者に繋がったと思ったら各種書類提出の必要があるらしく、時間的に厳しいとの回答も。。とりあえず行き当たりばったりで現地で頑張ることに。

ちなみに最終日のDCでは自分の講演も入れてもらった。「今度DCに戻るときは旅行者でも聴衆でもなく、スピーカーとして戻る」という3年前の自分との約束は果たさねば。懐かしい顔にも会えそうだし。但し今回は日本人研究者に日本語での講演で、まだまだ先は遠いぞと気を引き締める。アポ取りの電話での英語も可愛そうな状態だったし。。

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年末は新潟へ

と言ってもスキーでもスノボでも無く、寺泊の油田開発現場へ。

ほとんど知られていないが国内でも石油が取れる場所がある。それも大体日本海側か北海道の辺りに集中している。おそらく海底にも可能性はあるのだが、海流やら領土やらの問題で開発は進んでいない。

さて、現場では思ったよりこぢんまりとした形で設備が集中しており、それでも予想した通りの大きなやぐらがそびえ立っていた。案内してくれた石油会社の方は院の先輩でアメフト出身であり、こちらも大きくそびえ立っていた。まさに現場の兄貴という感じで非常に頼もしかった。